DAIHATSU
MotorSports and X4 HISTORY

1960年代の乗用車進出当時から、モータースポーツに情熱を傾け続けたダイハツ。
現代においてその集大成として君臨している「X4」シリーズと、そこに至るまでの道のりを辿ってみよう。

−誕生編1−
〜「X4」現る〜
660ccに拡大された軽自動車のダイハツ第1弾、L200SミラTR−XXが1990年3月に登場した。
全日本ラリーにも旧型のL71Vミラ4WDターボに代わって投入されたが、4WDのL71Vに対して新型L200SはFFのみの設定。
当初から4WDターボの設定があったスズキのアルトワークスには不利で、90年の全日本ラリーは未勝利に終わる。
しかしシーズン終了直後の90年11月、ダイハツ・ミラにも待望の660cc4WDターボモデルが登場。
L210S「ミラTR−XX X4」(上写真:カタログより転載)
初めて「X4」の名がダイハツ車に登場した瞬間である。
センターデフの代わりにビスカスカップリングで後輪に駆動を伝達する、スタンバイタイプのフルタイム4WDシステムはL71Vターボから共通。
この時登場した「X4」はまだ純粋な競技ベースモデルではなく、あくまでスポーティーモデルの「TR−XX」の「4×4版」としての位置づけ。
TR−XX同様の豪華装備やエアロにそれが現れていると言っても良い。
しかし後に登場するX4−Rほどスパルタンなモデルでは無かった事から、写真のように、この「X4」の方を競技ベースとした場合もあったと思われる。
(写真:出所不明のHPより転載)

−誕生編2−
〜最強のミラ「X4−R」〜


1991年1月、ついにダイハツは恐るべきサプライズを断行する。
「TR−XX X4」をベースに、クロスミッションとIHI・RHB3Bボールベアリング式ターボチャージャーを搭載し、外内装とも簡素化して従来のX4の豪華色を廃してモータースポーツベースモデルに特化させたモデルを登場させたのだ。
L210S「ミラTR−XX X4−R」(上写真:カタログより転載)
このX4−Rこそが、現在まで続く「ダイハツX4シリーズ」で、直接の元祖となったモデルである。
このX4−Rの登場が、それまでのダイハツモータースポーツの根底を覆したと言っても過言では無いだろう。
海外ではまだシャレードによるサファリチャレンジが進んでいたが、国内モータースポーツにおいても一気に王座の座を奪取するべく討って出たのである。
(写真は、当時ラリードライバーだった守屋 教昭氏提供の「ビッグベア・ポテンザ・ミラ」)
91年シーズンの全日本ラリーに初戦から登場したミラX4−Rは第1戦を優勝こそ逃したものの2〜5位を独占。
第2戦では西浦 徹夫がドライブするBowBowのX4−Rが優勝し、さらに3位までの表彰台を独占したのである。
まさに鮮烈なデビューであった。
こうしてライバル、CP21SアルトワークスRS/Rと大激闘を演じた91年の全日本ラリーは9戦5勝とスズキに競り勝ち、さらに92年も8戦5勝と大勝!

660cc軽自動車第1世代によって戦われたラリーでは、ミラX4−Rを投入したダイハツが最終的に勝利を収めたのである。
また、この92年には、後にDRSワークスのエースドライバーとなる、平塚 忠博が全日本ラリーにデビューしている。
また、92年には全日本ダートトライアル選手権の排気量区分によるクラス分けが変更され、A1クラスは事実上軽4WDターボによる争いとなった。
DRSワークスは内山 真二のドライブによるシャレードでのCUクラス挑戦を続行しつつ、ATクラスに津田 和美のドライブで参戦、ここでもスズキ・アルトワークスと激しい火花を散らし始める。
93年からはシャレードの内山もミラにスイッチして常時2台以上が参戦する現在までのスタイルが完成。
今でもDRSワークスのダートラドライバーとして活躍している志賀 彰もこの年にデビューした。
93年のラリーは660cc第2世代軽のスバル・ヴィヴィオが登場し勢力を拡大、バランスの取れた足回りを武器にするヴィヴィオにX4−Rも苦戦し10戦1勝にとどまったが、ダイハツ・スズキ・スバルによる三つ巴の戦いはさらに激しさを増していく。
1994年に入り、さしものX4−Rの力にも陰りが見え始め、全日本ラリーでは常に上位をキープするもついに1勝もできず終わる。
全日本ダートラでは新しい試みとして内山 真二を再びC車両に乗せ、X4−Rを改造してCTクラスに挑ませ1勝を上げる。
ATクラスは新鋭の志賀 彰が引き継いで参戦を続けたが、なかなかアルトワークス・粟津原とヴィヴィオ・鳥羽の激しい争いに割り込めず、この年は2位が最高位。
全日本で激闘を繰り広げる一方でX4−Rは手軽なモータースポーツエントリーマシンとしても人気を博し、各地のジムカーナ・ダートラ・ラリーでも使用された。
L210SミラX4−Rは今でも何台かが現役で、近年のイベントでも五味真一が2001年の全日本ダートトライアルまで、CTクラスにX4−RベースのC車両を走らせており、他にもマイナー・イベントやクラブの練習車として元気に走る姿がたまに見受けられる。
 

−誕生編3−
〜お蔵入りになった逸材〜
ここでせっかく始まったX4シリーズの流れとは全く関係無いのだが、是非とも紹介しなければならないマシンが一台ある。
それがこの、1991年に発表された本格的スポーツカー
「ダイハツX021」だ。
童夢とダイハツの共同開発によって完成したマシンはエンジンこそロッキーのSHHC1600ccエンジンを流用していたものの、軽量ボディにインボードブレーキ、レーシングカー並のサスペンションと本格派のオープンスポーツカーで、メカニズムは複雑だったが完成度は高く、実際にメディア向けの試乗会も行われて市販が心待ちにされた。
折りしもバブル景気の頃である。
多少高価でもそれなりに売れたのでは無いか・・と思われるが、なぜかX021はお蔵入りになった。
もしかすると、庶民向けの堅実なクルマを作り続けるというダイハツの企業イメージからハミ出した存在だったかもしれない。
後にもYRVターボを徹底軽量化した「YRVエボリューション」のメディア試乗会を突然開き、やはり発売しないなど、ダイハツはメディア向けに技術のアピールだけ行って発売しないという例がよくある。
なお、このX021は後に童夢の倉庫の中でホコリを被っているところを発見され、レストアの上2005年に筑波サーキットで久々の全開走行を行っている。
タイヤの進化もあって、現代でも通用しそうな性能だったそうだ。


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