DAIHATSU
MotorSports and X4 HISTORY

1960年代の乗用車進出当時から、モータースポーツに情熱を傾け続けたダイハツ。
現代においてその集大成として君臨している「X4」シリーズと、そこに至るまでの道のりを辿ってみよう。

−胎動編1−
〜「G」とそれに続くもの〜
1977年11月、ダイハツ「G計画」の集大成が日の目を見る瞬間がやってきた。
新型小型乗用車G10「シャレード」。
FFレイアウトに可能な限りの居住性を確保し、取り回しを容易にするためのステアリング舵角を確保するため、横置きエンジンでも幅を取らない、世界的に見ても異例の3気筒エンジンを採用。
大衆車として初めてカー・オブ・ザ・イヤーを受賞したシャレードは、出現直後から国際・国内ラリーに出場し、このクラスとして非凡な走りを見せる。
折から1979年には全日本ラリーが開催されるようになり、名手、日下部 保雄をエースドライバーに据えたDRSワークスはG10シャレードで1979年から1983年までの5年間で出場14戦中3勝を飾る。
スターレットやサニーなど排気量が大きいクルマの中で、僅か1000ccのコンパクトカーが見せた活躍は、続くG11で花開く事になる。
また、国際ラリーには1979年のモンテカルロラリーを初めとして数々のラリーに参戦、クラス優勝を勝ち取った。

1983年1月にデビューした二代目シャレードG11は、1984年からの全日本ラリーのクラス別排気量区分の変更(シャレードが出場していたAクラスは排気量1000ccまで)を受けて、ライバルを日産マーチに絞り、走り続ける。
同時期に設定された1000ccターボや同じく1000ccのデ・トマソ・ターボ、それにグループBカーのG26シャレード926ターボは国内ラリーでこそ振るわなかったものの、国際ラリーで活躍。
国内で活躍したのはNAの1000ccモデルで、1986年シーズンを最後に3台目G100シャレードにバトンタッチするまでの4年間で23戦12勝と波に乗る。
また、84〜86年と3年連続で参戦したサファリラリーではクラス優勝も獲得。

−胎動編2−
〜初のモータースポーツモデル〜
G11系列に1983年9月に登場したシャレード・ターボ及び、1984年1月に登場したシャレード・デ・トマソ・ターボはスポーツハッチバックとして人気を博したが、その排気量993ccは当時の国際モータースポーツ規則の過給機係数(ターボやスーパーチャジャーを搭載した場合に、排気量をNAに換算するためにかけられる値)である1.4を掛けた場合、1300ccを超えてしまうため、1300cc以下のクラスに出場するために、ベースエンジンの排気量を下げる事になった。
そうして誕生したのが写真の、
「シャレード926ターボ」
国際ラリーシリーズ、WRCのグループBに適合するための規定生産数200台が生産された926ターボはダイハツ工業として初めて、モータースポーツのために生産されたマシンであり、言わば後のミラX2/X4やストーリアX4、ブーンX4のご先祖様と言える。
このご先祖様は200台限定生産のラリーホモロゲモデルという「小さなスーパーカー」であった事もあり購入希望者が殺到、ディーラーで公開抽選の上販売されたという超希少モデルで、一般ユーザー用としてはほとんど行き渡らなかったと思われる。
国際ラリーでは85年のサファリラリーでグループBの1300cc以下クラスで見事優勝。
しかし全日本ラリーでは参戦したBクラスが1600cc以下のクラスだったためライバルに一歩劣ってしまい、また全日本ダートラには出場機会が無かったが、意外な所では全日本ジムカーナでの活躍が挙げられる。
80年に始まった全日本ジムカーナではなかなかダイハツ車の活躍の機会が無かったが、85年、86年と926ターボがATクラスに1戦ずつスポット参戦し、両方とも1台は表彰台に上がる活躍を見せている。
全日本ジムカーナにまたダイハツ車が登場するのは2002年の話になるので、ダイハツ車がオンロード競技で活躍した数少ない機会だ。
また、この時代はサファリラリーでの勝利を祝って、写真のような広告も掲載された。
現代ではモータースポーツでの活躍を宣伝に使う事はめっきり少なくなっているため、古き良き時代とも言えるだろう。

ここで忘れてはならないクルマをもう1台。
それがこの
「シャレード・デ・トマソ926R」
シャレード926ターボをベースにエンジン搭載位置をフロントからリアミッドシップに変更、後輪を駆動するというフランスのルノー5ターボのような生い立ちで生まれたこのマシンは、926ターボの後継としてWRCグループB投入を目指したものであったと言われる。
しかしグループBは「速くなりすぎたために」廃止される事となり、この926Rも東京モーターショーに展示されるにとどまった。
もし市販されていれば、WRCでの成績に関わらず、ダイハツ初のスーパーカーとして歴史に残っただろうと思われる惜しい1台だ。

−胎動編3−
〜シャレード黄金期と全日本ダートラへの挑戦〜
3代目シャレードG100にはモータースポーツ専用モデルは無かったが、GT−ti(後にGT−XX)に受け継がれた1000ccターボエンジンは健在、87・88・90・91・93年のサファリで全てクラス優勝。
特に集大成となった93年のサファリでは、クラス優勝のみならず総合でも5〜7フィニッシュを遂げ、80年代から始まったサファリ挑戦への最後の花道を飾った。
一方国内では1987年にBクラス(1301〜1600cc)へGt−tiを投入したものの、G11ターボやG26同様ライバル相手に苦戦。
この年を最後に全日本ラリーからシャレードを撤退させ、89年から全日本ダートラのC車両(ナンバー無し市販車改造クラス)に力を投じる。
今までプライベーターがコンソルテやシャルマンのC車両を細々と参加させるのみだったが、90年からはDRSワークスで本格的に全日本シリーズ(CUクラス)を追うようになり、その挑戦は92年まで続けられた。
G100シャレードでの全日本ダートラ最高戦績は2位止まりだったが、その後の全日本ダートラでダイハツが活躍する礎を築いたと言える。

−胎動編4−
〜4WDターボ登場〜
シャレードを全日本ラリーから撤退させたDRSワークスには新たな戦闘機が用意されていた。
L71Vミラ4WDターボ。
ダイハツのモータースポーツ史上初の4WDターボマシンだ。
ライバルはスズキのアルトワークス4WDや日産マーチ。
88年から堀田・岡本の両ドライバーに託されたL71Vは6戦中2勝を上げ、市場では最強と目されたアルトワークスとがっぷり4つに組む戦いぶりを見せ、ここからダイハツ・スズキの2強による熱闘が全日本ラリーで始まる。
翌89年は1勝のみだが雪上ラリーではシャレードの4WDモデルG112Sも姿を見せ、さらに翌90年にもL71Vが初戦で上げた一勝が唯一の勝利であったが、Bクラスにはなんとデビュー直後のアプローズ4WDA111Sも姿を見せた。
L71Vミラターボ4WDの出番は90年の全日本ラリー第2戦まで。
第3戦からは新規格軽自動車のL200SミラTR−XXアヴァンツァートへとスイッチするが、このL200Sの登場こそが、続く新時代への序章となるのである。


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