ストーリアX4極初期型
1998年4月19日、三井三池オートスポーツランドで開催された全日本ダートトライアル第1戦にて初公開&初出場、志賀彰選手のドライブで見事にATクラスデビューウィンを飾ったストーリアX4。 1998年4月10日の発表以前に既に16台生産されたと思われ、そのうち6台は運輸省で認可を受けるためのテスト車両で、ダイハツ内部でのみ使用されて1〜2年後に廃棄されたと思われる。 残り10台は一応ディーラーでの一般予約販売の形ではあったが、事実上のダイハツワークスチームである「DRS」の他、準ワークス的存在であるいくつかのサテライトチームや関係者に販売されたものが多い。また発表後に生産されたうちの最初の1台だけは極初期型と同じ仕様と思われるのが興味深い。 極初期型で試作車的なものも含まれると思われるために現存が確認された車体番号はほとんど無いが、使用部品など細部が異なり、中でも搭載エンジンのJC−DETの極初期型は、軽自動車用JB−JLを流用してスペシャルパーツを装着した採算度外視の「JB改JC」だったらしい。 後の量産型と違う点は、 ・オルタネーターのブロックを外付け。 ・砂型鋳造のインマニ装着(これは中子に砂残りが多いなど問題があったため後に通常の金型に変更していると思われる) ・ターボチャージャー(スバル・レガシィ用のものを装着) ・クラッチは他社チューニング用の180パイメタルクラッチを装備(ただし駆動系の耐久性に難あり)。 ・スロットルボディ(後にJB−DETと共用になるが、この時点では専用品) など。 当初量産が考慮されていなかったためでもあるが、当時のエンジンのお値段は約100万、ミッションが50万。JC−DETをベースとして軽自動車用新エンジンJB−DETを開発する事で折り合いを付けたとか。 また、発表当初から「薄型ボディ仕様」が存在すると言われていたが、内装の軽量化を極めた結果とも言われる。 ちなみにこの16台が生産された当初は運輸省(現:国土交通省)からなかなか型式認定が取得できず、一般販売は行わない方針だった。 しかしユーザーからの関心が非常に高い事を受けて、その後6年に渡って推定777台が生産される事になる。 (左写真:会場で公開されたDRS製作の1・2号機。手前が補助ライトを装着したラリー仕様、奥がデビューウィンを飾ったダートラ仕様) (右写真:『PD』誌1998年6月号で公開されたJC−DETのスペック) |
(初期型T)
生産台数 | |
1998年2月 | 3台 |
1998年3月 | 13台 |
1998年7月 | 1台 |