DAIHATSU
MotorSports and X4 HISTORY

1960年代の乗用車進出当時から、モータースポーツに情熱を傾け続けたダイハツ。
現代においてその集大成として君臨している「X4」シリーズと、そこに至るまでの道のりを辿ってみよう。

−総括編−
〜ダイハツとモータースポーツ〜
ここまでダイハツとモータースポーツの歴史について書かせてもらったが、いかがなものであろうか。
地味に庶民のクルマを作り続けているイメージのあるダイハツであるが、その歴史は第2回日本グランプリ直後から、モータースポーツと共にあり、戦い続けてきた。
クラブマンレースでのコンパーノの活躍。
日本グランプリでのプロトタイプカーの激走。
情熱と共に古き良き思い出となった、フェローでのミニカーレース。
喝采を浴びた、サファリラリーへの挑戦。
そして、誰もが手を伸ばせばそこにあったレーシングカー、一連のX4シリーズ。
そして、陽の目を浴びる事の無かった幻の名車達。
今、ダイハツチャレンジカップなどで実際に走っているドライバー達、そしてX4を所有し走らせているドライバー達。
あなた達に、いくらかでも「モータースポーツのダイハツ」の誇りを与える事ができれば幸いである。

現代の社会情勢やカーライフの嗜好はモータースポーツファンにとって絶望的な思いを抱かせるに十分なものであるが、そのような中でもダイハツは月数十台と少量ながら、最新型のブーンX4を生産、販売している。
かなうならば、この火が今後とも消えん事を、一ダイハツファンとして強く願う。
2007.1.1 713R
2009.2.1追記
私が「この火が消えん事を強く願う」とか書いた2年後の2009年1月13日、ダイハツ工業は全てのモータースポーツ活動からの撤退を発表し、40年以上にわたるダイハツモータースポーツの歴史に幕を引いてしまいました。
メーカーとして「もうやりません!」と断言した以上はそれ相応の覚悟をした上での決定であろうと思いたかったのですが、2月1日発売のモータースポーツ誌「プレイドライブ」3月号にて、実施部隊であるDRSとの十分な意思の疎通が図られないまま、突発的に終焉を迎えたドタバタ劇が報じられたのは、一ファンとして残念な事です。
ただ、今までもそうだったように、モータースポーツの歴史というのはメーカー主導だけでコトが進んできたわけではありません。
サファリラリーやモンテカルロラリーへの参戦は地元ディーラーからの要請でDRSが動いた結果ですし、シャレード926ターボも「そんなの売っても誰も買わない」と渋るダイハツ工業を「何ならウチで全部買い取ってもいいから」とDRSが説き伏せた結果世に出た代物だそうです(実際に発売したら購入希望者が殺到して、DRSの分が無くなりそうなくらいだったらしいですが)。
そのDRSも無くなってしまうそうですが、コンパーノのカークラブに端を発するDCCSは今後も残るとの事。
いわば、メーカーからユーザーに渡されたバトンは残ったわけです。
これからの歴史はまさに、ユーザー次第。
企業の広報活動としてのモータースポーツから、文化としてのモータースポーツへ。
日本で果たしてそれが根付くのかどうか、これからが要注目だと私は思っています。

713R


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