「モナ・リザ」のように愛されるように・・・・・との事でL70ミラ/クオーレのシャシーを流用して作られた一台のダイハツ製軽自動車に「リーザ」の名称が与えられたのは1986年(昭和61年)。
当時既にライバルのスズキにはアルト/フロンテのシャシーを流用した「セルボ」というモデルが存在しており(セルボという名前自体はアルト登場前からありましたが)、「普通とはちょっと変わった軽自動車」としてユーザーの選択肢を広めていました。
その中でもリーザの特色はグっと低めた車高で、頭上空間にゆとりをもたせて快適な車内空間を実現したミラ/クオーレとは対象的に「独立した個人の空間」として当初は主に女性向けだったのが特徴です。
当初の特色の一つが「スタイル優先」で、ターボモデルはミラと同様の550ccターボエンジンを備えながら吸気冷却のためのインタークーラーはエンジンの上ではなく前方に装備。
そのためボンネットに無骨なエアインテークが備えられる事は無く、優雅な卵型スタイルが保たれていました。

しかしそんなリーザに転機が訪れたのが1989年(平成元年)のマイナーチェンジ。
ターボモデルの魅力アップのためかミラの「TR−XX」のようにリーザのターボモデルも「TR−ZZ」と改称。
インタークーラーはミラ同様にエンジンの上に移動され、ボンネット上にはミラの武骨なそれとは違う、スタイルを崩さないように配慮した丸みを帯びたインテークを装備。
エアロで固めた外観(TR−ZZ EFI)と相まって、まさに活発な「心臓に毛の生えたモナ・リザ」。
走りの方もミラ譲りの活発さで、ターボの豪快な加速とミラより低い車高・短いホイールベースにより、タイトなコーナーの多いジムカーナコースではミラを上回る運動性能を発揮。
しかしリーザ自体が常にミラ/クオーレよりマイナーな存在で有り続けた事や、実用性よりスタイル優先のモデルだった事もあって販売台数は少数にとどまったリーザTR−ZZは希少モデルとなり、1990年(平成2年)のモデルチェンジでスタイルはそのままに大型化と660cc化を図った時にターボモデルからTR−ZZの名は消滅。
1992年(平成4年)に事実上の後継車「オプティ」が登場した時にはターボエンジンも降ろされてしまいました・・ダイハツチャレンジカップなどではミラを上回る走りをたびたび披露していたリーザですが、デビューから17年、TR−ZZ誕生から14年目にして全日本ジムカーナN1クラスにスポットながら参戦し、第3戦SUGOではなんと5位入賞。。
「モナ・リザのように愛されるように」生まれたクルマがまた愛されるように、今日もトコトコと走り続けています・・・・