DAIHATSU G26 CHARADE926TURBO

現在でも多くのモンスターマシンらがシノギを削る世界ラリー選手権(WRC)。
かつてここには「グループB」と呼ばれるモンスターマシンが存在した。そのあまりの速さに事故が続出し、しまいには廃止されてしまうこのカテゴリーにはポルシェ「959」プジョー「205T16]ランチア「デルタS4」など蒼々たる顔ぶれが並んでいたが、そのモンスターマシンの中で、排気量1300cc未満という下のクラスで勝利するためだけにグループBカーを作ってしまったメーカーがある。
それがダイハツ。
マシンの名前は「シャレード926ターボ」。
そもそもG10型初代シャレードでサファリに参戦しクラス優勝を果たしてきたダイハツだったが、2代目G11シャレードではターボエンジンを搭載、そうなると当時の国際的なターボ係数(本来の排気量×1.4が排気量として認められる)により、その1リッターターボエンジンでは排気量1.3リッター未満のクラスには出場できない・・・というわけで200台生産すれば出場が認められるグループB規定により、926ccターボエンジンを搭載したシャレード926ターボが少数ながら生産・販売されたわけである。
こうして登場した「小さな怪物」シャレード926ターボはサファリラリーで目標のクラス優勝をアッサリ達成、総合でも上位に食い込む走りを見せる。

この姿に現地ではランチアやトヨタ、日産などよりも人気が集まり、プジョー205T16が走ってくる姿を見て、「なんだダイハツじゃないのか」とガッカリするギャラリーまでいたのはホントの話らしい。
シャレード926ターボは海外のみならず当然ながら国内ラリーやジムカーナにも投入、「戦うマシン」ゆえに現存台数は少ないが何台かは現在でも維持されていると思われ、ダイハツ車の運動会「ダイハツチャレンカップ」でも数年前に参戦したのが確認されている。

なお、廃止されたグループBが存続した場合・・にはもっと過激なマシンが出番を待っていた。926ターボのエンジンを前席の後ろにミッドシップに搭載、後輪を駆動する「和製ルノー5ターボ」こと「シャレード・デ・トマソ926R」である。
東京モーターショーに突然現れたその真紅のマシンに期待が集まってすぐにグループBは廃止、926Rがお蔵入りしたのは非常に残念であったが・・・それでも残された926ターボは走り続け、続く3代目シャレードGT−XXに伝説を託していくのである。



初代シャレード以来サファリでクラス優勝を勝ち取ってきたダイハツが送り込んだ最終兵器、シャレードGT。
時は90年代に入ろうとする頃、既に怪物グループBは姿を消し市販車に近いグループAで再発進したWRC。
そのサファリラリーではトヨタ「セリカ」が圧倒的な速さを誇るようになり、そこに三菱「ギャランVR−4」スバル「レガシィRS」日産「パルサーGTi−R」ら日本車勢、ランチア「デルタ」などが絡む激戦場だったが、そうしたハイパワーマシンを蹴散らすように激走した小さなマシンがシャレードGT−XXだ。
2リッター4WDターボ車がワガモノ顔と思いきや、僅か1リッターターボのリトルモンスターが見せる、上位に食い込む走り。サファリの住民はその姿に歓喜し、「やはりダイハツは凄い!!」と叫んだのもホントの話。
特に圧巻は94年のサファリ。本国では既に4代目G200系シャレードが発表されていたにも関わらず、あえて旧型で挑んだダイハツ最後のサファリラリーで、クラス優勝はもちろん総合でも5−6−7フィニッシュを成し遂げたのである。

日本車の上位独占・・のみならず、ダイハツの大快挙。

もちろんラリーはトヨタとダイハツだけがやっていたわけでは無い。
幾多のモンスターマシンがシャレードの後塵を浴びた、のである。
これを最後にダイハツはサファリチャレンジを休止。そして伝説となり、今もサファリの人々の心の中では走り続けているのである・・・

1998年、ダイハツ小型車では4年ぶりに登場した競技マシン、ストーリアX4が登場した時、「これでダイハツはサファリにも復帰か?!」と期待が高まった。それから5年後の2003年、X4では無いがストーリア1300が競技車両としてFIA公認を取得し、ラリー北海道のグループAマシンとして国際ラリーに復帰、続く2004年以降もM301Sブーンで出場したのである。
しかしシャレードが最後の大活躍を見せてから10年以上を過ぎ、トヨタの完全子会社となったダイハツの国際ラリーへの本格復帰への道は、まだ見えて来ない。